他者視点で生きるという大切さと難しさ

俺は今までずっと自分視点で生きてきた。

自分のやりたい事は何か、自分にとって嫌な事は何か、ばかり考えてきた。

学生時代は周りの人に興味を持たず距離を置いて、基本一人で過ごした。

自分だけで過ごせば気も遣わなくて楽だし、自分がどう思われるか気にする事も無いし、自分のペースが乱される事も無いからと。

それでずっと一人でのんびり過ごした。社会に出ても自分が本当はどんな仕事をしたいのかを行動せずに悩んだりした。ずっと自分自分だった。

現在もまだそんな感じだ。

最近トレカ作りという趣味が出来て、正直それは長時間やっていられて楽しい。

会社は今後いつクビになってもおかしくないとずっと考えているから、その趣味を仕事にしていきたいと考えたりしている。

しかし、じゃあこれを仕事にしていこう!と考えた時に、すごく困っている。

まず脳が足りないので、調べたり考えたりも下手で、思いつくやり方も少ないが、まあ「自作カードを販売してみようか」くらいのアイデアは思いつく。趣味を仕事にする方法。

ただ、俺が趣味でたくさん作っているカードを、誰が買ってくれるのか。

他者にとってメリットが無いと思う。

俺が趣味で作るカードを手にした他者に、どんな良い未来が待っていようか。いや、無い。

仕事は全て他者視点で行われると考えている。

確かに自分に合った仕事を選ぶのは大切だし、やりたい事をやると良いとは思う。

しかしお金を稼ぐ事は何をするにも生きる上で絶対に避けられない。

そしてお金を稼ぐには、他者に価値を、メリットを提供するのが当たり前だ。

だから困るのだ。今まで人付き合いを避けてきて、ストレスを避けてきて、そうして自分視点で楽に生きるのが当たり前になってしまっている俺にとって、他者の気持ちや考えを汲み取り他者に喜ばれる作品や商品やサービスを提供するなんて、相当難しく感じて気が引ける。

他者視点で生きるというのは大切であり難しいと思う。

まあだから結論は、自分の深掘りしか無い気がする。

客観的に自分を見て、これまでどう過ごしてきたか、どんな実績があるか、他者に何を喜ばれてきたか。

徹底的にあれこれ考えて、そこからじゃあこれをやってみよう、になるのかなと思う。

「自分のやりたい事」と「他者に求められそうな事」を掛け合わせる。

ただそんなものも今立ち止まって考えて思いつくものはたかが知れているので、考えてとりあえず仮説を立てて、たくさん動きながら、結果が出るか出ないか検証していく、を繰り返すしか無いのでしょうね。

他者にどんな価値や影響を与えられたか、というのが結果なのだろう。

その結果は自分が何をしたら出たのか、というのが大切なのだろう。

まずは自分自身を客観的に見て深掘りをしてみる。

読んでくれた方、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました