アンニョンハセヨ、えぬじです。
僕は昔から、歩く事が結構好きなんですよね。距離的に考えて、普通の人が自転車とか電車とか使いたがるような遠さであっても、割と歩くのを選んだりしてきました。大体徒歩1時間とかでも平気で歩いてきました。今思えば時間も体力も無駄遣いなんですけどね笑。そういうのも気にしたくないくらい、のんびりした性格でしたからね特に大学生の頃とか。ではそんな僕が歩く事の魅力を色々語っていこうかなと思います。
そもそもなんで歩くんでしょうか。乗り物を使えばすぐ行けるものを。と考えた時に、もちろん目的地が決まっている場合とか、後で予定があるから時間が限られている場合とか、そのような時は自転車とか電車とか乗り物を使いますよ僕だって。まあ当たり前ですけどね。と考えると、僕が歩くのは、特にこれといった具体的な行き先があるわけではない場合や、時間に余裕が沢山ありのんびり行ける場合になると思います。でね、こういう話を以前友達何人かに話した事があるんですけど、ほぼ全員理解できないって言っていました。僕が財布と携帯だけ持ってフラッと隣町まで歩こうみたいな事をしていた時ですね。目的が無いのになんで行くのとか、なんでそんなにフットワーク軽く動けるのとか、自分にはそんな時間の使い方できない羨ましいとか、何か色々言われましたね。普通ではないみたいです。でもそれを聞いた時僕からしたら、じゃあ逆になぜ皆は気軽に出かける事が出来ないのか、もしかしたらそれくらい勉強とかバイトとか誰かとの遊びとか、多くの用事に縛られて忙しくしていて、1人でのんびり過ごすという概念が存在しないのかな、とか思いました。だから僕側もそれが理解できなかったですね。本能をころして理屈で動くのが当たり前になっている賢い人たちという印象ですよ。きっと多くの日本人がそうだし、何なら僕にもそういう面はあるかもしれません。まあもちろんのんびり目的もなく時間を過ごす事を本能が望んでいないという事なのかもしれないけどね。まあただ歩く事だけでなくとも、多くの場面で自分の本能を我慢している、理屈で誤魔化している人が多い気はしますけどね。
そんな感じで、日頃よく歩いている僕ですが、ではそれの何が楽しいのかですよね。僕にとって、目的もなく時間を食いつぶしても、あまり嫌ではない街歩きというものの魅力。うーん、やはり街並みを目で見て、大地を足で踏みしめ、吹く風を肌で感じる、その状態が生を実感できるから、なのかな。今自分がこの地に、この街に存在するんだという満足感みたいなものはある気がします。普段歩き慣れている街から少し離れた、初めて来る隣町とかを歩いていると新鮮で、この地を味わいたいと思ったりするものですよ。とか偉そうな事を書いてきたけど、ちょっと訂正しますね。完全な無目的ではないかもしんない。あれが食べたい、あれが買いたいという目的はあって、その店という目的地にたどり着くまでの街歩きだから楽しめる、だわ正確には。すいません目的はありますね、で時間は気にしなくて良いという状態だから、先程述べたように街歩きを楽しむ事が出来ると思います、そんな感じ。つまり僕は学生時代、~したいという自分の本能に従ってすぐ動くという事は出来ていたんですね。~しなきゃという外部の環境に縛られやりたい事を我慢するという事はしなかった、良くも悪くも。まあでもバイトや恋愛は当時気が向かなくても挑戦しておけば良かったなと、少し後悔はしていますけどね。1人での気楽さをとった俺ですが、一歩踏み込んで、人と関わる楽しさも味わうべきだったなと。まあそれは今後ね、やっていきたいと思っていますけど。皆さんもやりたい事は素直にすぐにやっちゃいましょう。
とにかく街歩きの楽しさは、その街の雰囲気を味わう事と生を実感できる事、だと考えます。で街歩きはその先に目的があり、時間に余裕もあれば、誰でも楽しめるのではないかと思います。そして基本的にどんな街でも楽しいですが、やはり一番楽しいのは東京であると、そう繋がっていくんですよね。東京が魅力的だと感じる理由は以前述べた通り、小さい頃から都内の地名を目や耳にする機会が多かったのと、実際に歩いて建物の高さや配置、道路の幅などがバリエーションに富んでいて面白かったのと、がありますかね。これも大学時代に実際に歩きましたが、東京駅で降りてそこから3日間歩き続けたんですよ、楽しくて。その頃友達と東京で会って遊ぶ約束をしていたんですが、それはその3日間の最終日のみだったんです。つまり俺だけ勝手に1人で2日間早く来て遊んでいた、というか歩き回っていたんですね。それくらい変態だったんです、東京の街歩きに魅了されすぎていたんですよね。でも、皆ある程度はそうなんじゃないかな。初めて東京に来たときとか感動して色々各地を巡るでしょう。でもあれか、そこでバスとか電車とか使って観光するから、歩き回るやつはほぼいないか笑。まあそれくらい、街歩きを東京でする事は特に面白かったんですよね。若い頃の話ですよ、今はそんな体力無いです。
そう、それで在学中は、東京に遊びに来ても、現地に住んでいる友達もいなかったし居場所もなかったので、もっとここにいたいなと思いながらも帰らなきゃいけなかったんですよね。いつか絶対住み始めてやる、そしたら毎日歩き放題だ、とか思い夢見ながらワクワクしてましたね。そして時は過ぎて卒業した後、晴れて東京に住み始めました。でも何だろう、鉄は熱いうちに打てという言葉が合っているのかな、当時ほど全然ワクワクしないんですよね。むしろ都内で街歩きしてても寂しくなっちゃって。これだけ膨大な数の人がいてすれ違うのに、知り合いは1人もいない。気軽に話せる人は1人もいない。そんな疎外感の方が大きくなっていったんです。短期間で帰っていた頃はそんな寂しさを抱く前に楽しむだけ楽しんで帰れたから気づかなかったけど、居場所ができて長期間滞在し始める事で寂しさを感じるようになってしまったという感じです、切ない話です。そう、だからそこでようやく気づいたんですよ、俺は学生時代感じなかったけど、もしかしたら皆はその頃から1人の寂しさを感じていて、だから仕事(アルバイト)とか人間関係(友人恋人づくり)とかに熱心に取り組んでいたのかな、と。結局人生を豊かにするのは仕事や人間関係の充実なんだなと思います。それを最近になって感じ始めた俺は、皆よりは遅かったけど、大人になり始めたのかなとか思います。街歩きからこんな話になっちゃった笑。だから今後はのんびり街歩きとか言ってないで、いやそれをしてもいいけど、寂しくなるだけだから、仕事や人間関係に打ち込んで心を人並みに満たしていく事もやって生きていこうとか考えています。
本能に従ってすぐに動いていたのはきっと当時も間違いなかったと思います。だから楽しくマイペースに生きていましたけど、ただそれは楽で心地良い状態で、特に頑張らずにという前提があったと考えています。自分の本能の中でも、苦労せずすぐに達成できる低レベルのものは、すぐに満たそうと行動する事が出来るけれど、達成後の満足感は小さい。一方、本能の中でもすぐ達成できるほど甘くはない高レベルのものは、満たすために行動するのが不安で面倒ですぐ出来ないけれど、そういう抵抗がある、一歩踏み込む勇気のいるものの方が、達成後の満足感は大きい、そして大きく成長出来てさらに楽しい、みたいなそんな気がします。だからこそ、過去に逃げてきた、レベルの高い、満たすために長期的に戦う必要のある、そんな本能に従って今後は生きていきたいと考えています。
読んでくれた方、ありがとうございました。
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