古代ギリシアの歴史

エーゲ文明

古代文明のうちの1個、エーゲ文明は、ギリシア文明のルーツとなる文明でした。

エーゲ海では交易が盛んに行われていて、その拠点に人が密集し都市が形成されたため、そこでエーゲ文明が生まれました。

時は流れ、エーゲ文明が崩壊し、暗黒時代と呼ばれる時代に突入しました。

その時代の間に、都市国家ポリスが出て来ました。

都市国家ポリス

都市国家ポリスとは、古代ギリシア人による小さな集団のことであり、各地で市民が集まって一緒に住むようになったことにより、一つの街であっても国家のように機能している集団です。

ポリスは複数存在し、イオニア人によるアテネとドーリア人によるスパルタが代表的です。

アテネ

アテネでは、貴族に不満を持った一般市民が、武器を買って重装歩兵となって戦争に参加するようになり、そこから市民が段階的に政治に参加できるようになっていく、という流れで民主政治がつくられていきました。

アテネは、人口が増えて土地が不足したため、イタリアやフランスなどに植民市を建設し領土を広げていきました。

スパルタ

一方で厳しい教育を行う軍事国家であったのがスパルタです。

スパルタは広大な支配領域を持っており、多数の層を支配していました。

アケメネス朝ペルシア

アテネ、スパルタが代表的であるギリシア連合の東部には、そのライバルであるアケメネス朝ペルシアが存在しました。

ペルシアはギリシアとは違って中央集権国家であり、強大な力を持っていました。

ペルシアの支配下にいるギリシア人の反乱にアテネが手を貸したことが発端となり、ペルシアはギリシア連合に襲い掛かりました。

ギリシア連合は、苦戦しながらも、何とかペルシアの攻めを防ぐことが出来ました。

マケドニア

ペルシアに勝利したアテネとスパルタでしたが、今度は内輪で主導権争いが勃発しました。

それをペロポネソス戦争と呼び、この戦争で両者は消耗し、次第に荒廃していきました。

両者が消耗している間に、漁夫の利を狙うマケドニアが近づいて来ました。

マケドニアの、アレクサンドロス大王の父、フィリッポス二世が、アテネとスパルタの混乱につけいり争いに割り込みました。

その戦いをカイロネイアの戦いと呼び、フィリッポス二世はギリシアを制圧しました。

巨大帝国

父の死後、アレクサンドロス大王は、敵の足止めを重装歩兵に任せ、自身は飛び越えて向こうのトップを突く、という戦法でペルシアを東征していきました。

アレクサンドロス大王のペルシア東征は、行き過ぎてインド辺りまで進み、巨大帝国が生まれました。

攻められたインドでは、国家のリーダーシップが高まり、統一王朝マウリヤ朝ができました。

アレクサンドロス大王は、向こうの文化も尊重し、東西融和政策を行いました。

ギリシア、マケドニア、ペルシアを仲良くさせ、ギリシア圏とペルシア圏の文化が融合したヘレニズム文化も流行しました。

彼の名前は、エジプトの都市、アレクサンドリアの由来にもなっています。

そんな若きカリスマ、アレクサンドロス大王は、東征の途中で亡くなりました。

彼は後継者を決めず曖昧にしていたため、その後国内で後継者争いが勃発しました。

その結果、帝国は3つに分裂してしまいました。

これらが古代のギリシア、マケドニア、ペルシアで起こった出来事です。

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