普段何してんの?に対する返答の難しさ

こんにちは、えぬじです。

皆さんはたまに会話で人に聞かれませんか、普段(休日とか)何してんの?って。

僕はたまにそれを聞かれると、自分の記憶を遡ってさらにそれを面白そうな感じの言葉で表現する、という難易度の高い事を短時間でやらなきゃいけないと思ってしまうので、結構面倒です。

今日は、その質問をしてくる人の面倒くささと、それに良い回答が出来ない自分のつまらなさ、について喋っていこうと思います。

質問してくる人について

基本的に僕は沈黙を気まずいとも思わない、かつ仲がよほど良い相手じゃないと心を開けない人間なので会話はあまりしないタイプです(社会性が著しく低い)。

ただそうではない多くの人は、沈黙は気まずいものだという意識を多分前提として持っているんでしょうね、だから気を遣って目の前の人に話しかける、という行動をとるみたいですね。

そこで来る質問が上記のざっくりしたものだったりする。相手も相手で、何か話題を絞り出して話しかけてきているんですかね。ただ自分としては、気を遣って話しかけてくれた事への申し訳なさは感じますが、嬉しさなんてものは感じないんですよね。悪いけど。

正直俺は読書に集中してたりして、そこで自分の世界観に浸っていたり思考の海を泳いでいたりするから、その意識を現実の外の世界に引っ張り出された挙句、そんなよく分からない質問の答えを考えさせられちゃ迷惑なわけ。これは偏り過ぎかつ言い過ぎか。俺が良くない。

じゃあ逆に自分から話しかけるとしたら俺はどうするかなと考えてみる。まずかなり頑張らないと話しかけられないですが、そんな内向的すぎる自分の性格は置いといて、おそらくもっと具体的なそして相手にあまり考えさせない質問をすると思いますけどね。例えば、が出て来ないけど。ダメですね。

まあ結論、質問する側もその質問は漠然とし過ぎで答える側がちょっと難しいよという事は覚えておいてほしいですね。気を遣って話しかけようという気持ちは社会的にみると素晴らしいと思うので。

良い回答が出来ない自分のつまらなさについて

次に、僕が普段何してるの?と聞かれたときの返答についてです。

これが非常につまらないもので、家にいて動画観てますよとか本読んでますよとか、街をのんびり歩いてますよとかカラオケしてますよとか。ただこれは俺自身は楽しいと思ってやってる事なんですよ、言葉にしたらつまらないけど。

一方で、例えばそこで、動画を投稿してますとかブログを書いてますとか、プログラミングを勉強してますとか韓国語を勉強してますとか、絵を描いてますとか写真撮ってますとか、経済やITについて勉強してますとか、言えたらちょっとカッコイイ感じしません?だから本当はそんな事を答えたいんですよね。

これらの違いは、前者は何も頑張らずに自然とやってる現実であり、他人向けに言葉にしたらありきたりでつまらない。後者は少し意識して頑張る必要のあるやりたい事つまり理想であり、他人向けに言葉にしたらちょっとだけ珍しくて面白い。でも実際後者はたまにしかやってないしかつクオリティも低いから、何か言ったら噓っぽくて嫌だと思ってしまうんですよ。だから結局現実でやってるつまらない行動が答えになるわけです。

まあだからこそ、というかそれが理由では無いけども、時間の使い方、習慣を良い方向に変えていきたいなとは思いますよね。

まとめ

話しかけようとする気遣いは多分素晴らしいけど、質問するなら内容は相手の答えやすさを考えて、曖昧ではないものにしましょう。

そして答える側は、質問者の興味を引ける回答をスッと言えるくらいに、日々の生活を自分の理想に近い、面白い事で埋めて生きましょう。

こんな感じですかね。読んでくれた方、ありがとうございました。

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