「正しさ」よりも「強さ」の方が重要なのかも

こんにちは、えぬじです。

正しさと強さの二つを考えた時に大体、人は正しくあるべきだと思いがちですよね。

例えば暴力のような腕力の強さで相手を従わせる、なんていうのは最低です。

お互いが話し合って意見を出し合い、何が正しいのか考えて和解する方が望ましい。

しかし、もう少し深掘って考えてみると、本質?は逆な気がしたんですね。

正しさよりも強さの方が重要。

そんな話をダラダラと以下に書いていきます。

①正しさを保つには強さが必要

正しさが何かを定義してみます。

正しいか間違いかの基準をどうするかですが、ここでは人々皆が平和に生きられる状態を正しい、誰かが危険に晒される状態を間違いとします。

正しい世界を目指そうと思う場合、皆の平和が大事だから、和を乱す人間が生まれないようにする必要があります。

そのため話し合ってルールを設けて、禁止事項などを決めるなどが行われると思います。

ただ実際、設けたルールを破った人間を罰して二度と再犯しないようにさせる人間というのが、そこには必要になってきます。

その人はその集団の中で最も強くなければいけないと思いませんか。

弱かったら和を乱す人間を取り押さえる事が出来ないので。

➁そもそも正しさなど無く平和を保つなど不可能

では集団の中で最も強い人がルールを皆に守らせる世界は平和でしょうか。

そうとは限らないと思います。

そもそも人間はみんな異なります。

社会で人と関わっている状況では、他人に気を遣って自分もそう思いますと合わせる事が出来ますが、それは表面上であり、実際一人一人の気持ちや考えなどはマジで全員が違うと僕は思います。

そんな異なる人々が一人の強者に支配されたとすれば、その強者がどんなに皆の意見も取り入れようとする優しい人間だとしても、必ず中にはそれが許せずに反乱を起こす人間が現れるでしょう。

そしてその人を止めようとする人も現れたりして、いずれ戦争が始まるでしょう。

まとめると、人々皆が平和に生きられる正しい世界を実現するのは不可能であり、理由はそもそも一人一人の気持ちや考えが異なるから。

その結果、話し合いで辿り着いた共通する意見は表面上でしかないし、最強の一人が他全員を統治しても誰かが反乱を起こすし、という感じで人間同士の対立は避けられないでしょう。

➂一人一人が自分の意見を堂々と主張する強さが必要

そんなわけで、一人一人異なる人間が、正しさとは何かを考えるのは無意味だと思えます。

せいぜい、他の多くの人も似た考えを持っている事を知り、じゃあ自分は正しいんだという考えに至って落ち着く事があるだけで、別に正解に辿り着いたわけではないです。

だからこそ、周りがどのような意見を持っていようと、それとは関係なく自分自身の意見を堂々と持っておく事が重要だと思います。

言い換えると、「自分はこれが正しいと思う!と堂々と主張する強さ」が重要だと思います。

それは一人一人異なっていていいのです。というか一緒にはなりえないです。

まあ長くなりましたが、以上に述べてきた事から、

「正しさ」よりも「強さ」の方が重要なのかもしれない、と考えます。

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